昨日の日記で
>だから、味がある・・とか、いいなぁ・・だけの好みだけでかたずけられる>絵画というジャンルに、物足りなさを感じてしまうんですよね。
なんて書いたけど、ちょっと言い過ぎたかな・・と思いました。
というのも、僕が生きていく上で、心の支えとしている言葉の一つがロートレックの言葉だからです。
「人間は醜い。けれど、人生は美しい。」です。(新日曜美術館より)
愛だとか平和だとか、なんとかかんとか言うけれど、人間の本性なんて、自分を含めて、きわめて醜いと思ってしまって、存在する価値なんてないんじゃないの・・って正直思っている僕です。(ひねくれてますよね(^_^;))
でも、ロートレックの言葉は、そんな僕の想いに共感してくれつつ、けれども、人間が綺麗であるところに存在する価値があるのではなくて、もっと別のところに生きていく意味があるのだということを教えてくれます。
そして、「美しい」ということが、どういうことなのかを語りかけてくれているように思うのです。
僕は、ロートレックの絵は、べつに好きではありません。
でも、その言葉を理解するのに、ロートレックの絵は必要なのです。
いわゆる、美術史に名を残す絵画達は、それだけを見ると、好みの範囲で終わってしまうけれど、その人と、その人が残した言葉とをセットにすると、たんなる好みだけで左右されない、生きるヒントが隠されていうと思うんですね。
ピカソも、いわゆるピカソの絵だけみればどってことないです。
でも、ピカソの生き方を真似できる人はそうはいないですね。
そして、ピカソの生き方を理解するのに、ピカソの絵は必要だと思うのです。
と、偉そうなことを語ってしまいましたが、物足りない・・と言ってしまったところを訂正したかったものですから・・。
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学生時代の絵も額装しました。いい感じじゃん。
ところで、CGのソフトが届いたのですが、PCとの相性が悪いのか、ちょっとヘン。使えない・・・。( -_-)
あ〜、また面倒なことになったな。