昨夜は、絵も完成したことだし、影が出来るほど明るい月光のもと、気まぐれで島を一周したりなんかしちゃったわけです。
で、僕は、散歩しながらとか、車を運転しながら考え事をするのが好きなのです。
昨夜は、どういうわけか、結婚や死ということが頭の中を駆けめぐりました。
まぁ、奇跡がおきて、運良く僕が結婚できたと考えよう・・、子供なんかもできたりして、そして何年かたって僕が死んだとき、僕の絵は、嫁さんと子供のものになるわけですよね。
そのことが頭をよぎったとき、あ〜、結婚ってそういうことなのかぁ〜と、実感として結婚ということが僕にせまってきたのでした。
結婚って、すごいことだなぁ〜と思いました。
別に、僕が死んだあと、絵を大切に守ってください・・なんて言うつもりはなくて、売るなり捨てるなりしてくれてもいいんだけど、かと言って、本当にうっぱらわれたらやっぱり悲しいことですね。
もし、ちゃんとみんなが見れるような場所を作ってくれたのなら、絵はずっと多くの人と出会えるわけです。そう思うと、結婚って、たんに好きだから・・だけではなくて、一大プロジェクト成し遂げていく仲間って感じもするし、相手に対する、使命のようなものがあるような気がしますね。
僕は昨今の離婚率なんかをみると、男女の関係に不信感をもっていて、所詮、遺伝子に操られているにすぎない・・とさめた目で見ているわけです。
でも、やっぱ、自分の絵をゆだねるってことを考えたとき、本当に心底、相手を信じることができて、全てをゆだねられる相手でなければいけないなぁ〜と思ってしまいました。
もともと、違う環境で育ってきた相手なのだから、喧嘩なんてあって当たり前だし、さめてしまう時だってあると思う。好きな時だけ相手を大切にするなんて、だれでも出来ることだし、人間として高度なことではないと思う。
大切なのは、きらいになっても、相手を大切にできる人でなきゃだめだなぁ〜と思いました。
それって、きわめて、イエス・キリストに近付くってことだと思うけど、本当は、人間って、そこまで大切に思える気持ちがあれば、きらいという感情を克服できるのではないかと、秘かに思うのでした。
それって、みるくやミーから教わりました。
時々、腹立つこともあるけど、その感情をぐっとこらえて、抱きしめてやると、やっぱ、かわいいなぁと思えるもんね。
ということで、たんなる男女の「好き」は、僕としては、愛とはみなしません。
それは、遺伝子の仕業にすぎません。
まだペットに対する気持ちの方が、純粋な愛だと思います。
ゴッホの絵は、弟家族によって、後世に受け継がれていったんですよね。
で、ゴッホは、弟家族に愛されてるという実感があったからこそ、自分の大切な絵を、弟にゆだねたのではないかな。
そして、それが弟に対する、ゴッホの愛情表現。
他の絵描きさんはどうかしりませんが、自分の大切な絵を、人にゆだねるってのは相当なことだと思いますよ。
僕なんて、絶対、人になんてまかせたくないし、触られるのもイヤですからね。
な〜んて、今日は語ってしまいました。
恋愛素人が、独り言を言ってる・・というくらいに聞き流してくださ〜い。